「凝視しても、欲情してもいけません」とヌーディスト村に撮影に出かけたニコール・キッドマン演ずる女流カメラマンのダイアン・アーバスは撮影前に村民の注意を受ける。映画「毛皮のエロス」はそんな冒頭から始まる。
最近立て続けにヌードの撮影があった。一人はここがオープンしてすぐにいらした女性。もう何度か撮影しているが、ヌードは初めてだった。
「なぜ、今?」と予約の時にお聞きしたら、乳癌が発見され、乳房切除が決定的になった為に、記念に写真を残したいという事だった。
あくまでも、明るく健康的に、そして何よりも美しく彼女を撮り終えたとき、「形があるうちに誰かに抱かれたい、、、、、」という独り言が彼女の口から漏れた。あまりにも切ないつぶやきだった.
そして、その数日後、こんどは絵のモデルをしている女性が、自分のプロフィール用の撮影にいらした。以前着衣の撮影はしていたが、ヌードは初めてだった。いざ撮影に入ると、さすがプロ、絵の裸婦モデルは初めての撮影だったが、あまりに完成された裸体に感動すら覚えてしまった。
「単なる物体だと思って下さい」と彼女は言った。しかし、撮影内容にもよるが、僕もアーティスティックなヌードの作品を撮る時は、モデルを粘土に見立てて撮影する。それはときに、よほど体の柔らかい人でなくては出来ない要求になる。ある彫刻家がモデルの骨を何回も折ったという話はあながち嘘ではないだろう。
僕が、実際に要求したポーズを試しに自分でやってみて、どれだけ人間の体が堅いのか思い知る事も何度かあった.
ここのお客様の2%に満たないほどの方が、ヌードの撮影を希望される。その話を一般のお客様にすると、ほとんどの女性が、「よく勇気がある」とか「信じられない」とかおっしゃる。その動機は様々だが、特に多いのはご主人や恋人から懇願されたというケースだ。これは、考えようによっては、ある意味その女性が非常に愛されている証拠だとも言えるだろうか?
数年前の年賀状に、許可をいただいてそんなお一人の裸体の写真を使わせて頂いた。「顔はボカしますから」と言ったら、「どうぞそのままにして下さい」とおっしゃったので、そのまま使わせていただいた。当然その賀状をもらった人からの反響は凄かったが、今も大好きな作品になっている。
こんな事もあった。やはり何度かみえていた女性だったが、「記念にちょっとだけセクシーな写真が欲しい」というので、胸のトップは隠した背中だけのセミヌードを提案し、本人も気に入る素敵な作品が出来上がった。しかし後日「両親がいやがっているのでファイルごと消して欲しい!」とメールが入った。その女性はすでに30歳だったので、「もう大人なのですから、写真が気に入っているなら、ご両親気持ちは解るけれど残しておかれたらいかがですか?」と説得した。
しかし、その後彼女の言い分が変わりだし、なんと僕が無理矢理彼女を裸にし、撮影の夜は泣きはらしていたと抗議されたのだ。
確かに誰だって後で気の変わる事はあるだろうが、僕はこの一件で本当に傷つき、ヌードを撮る事が怖くさえなってしまった時期がある。しかし、恥じらいながらも、避けようもなく衰える肉体を、たとえ写真であっても、若いうちに残しておきたいという想いに応える仕事に指名されることは、非常に光栄なことだと常に思っている。
冒頭の映画の台詞だが、ヌードを撮るときはこれが大切だと思う。世の中の多くの男性に羨ましがられるのは当然だ。実際女性の裸を拝見し、お金をいただける職業は、お風呂屋さんと医者、そして写真家位なものだろう。しかし「凝視しても、欲情してもいけません」という掟があるという現実を少しだけご理解いただきたいと思うのだが、無理だろうか!? 笑
2007年11月22日
裸を撮るときの掟
青山表参道アーニーズ日記