参議院選挙で日本中が盛り上がる中、小田実さんが静かにガンで亡くなった。彼は闘う作家として、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の中心的人物として活躍し、著書「なんでもみてやろう」は、当時外国に憧れる若者に広く読まれていた。
僕が高校生時代は学生運動が全国的うねりとなっていた。僕たちの住む札幌でも、デモの日は市内各高校から100人単位で学生が参加して市内を練り歩き、機動隊と衝突を繰り返していた。
そんな毎日に明け暮れ、ろくに勉強をして来なかった結果、2浪を余儀なくされ、予備校に通う為上京。その予備校の寮が世田谷の豪徳寺にあったのだが、4階の僕の部屋の前が、なんと小田実氏の仕事部屋だった。
彼の授業数は多くはないが、その予備校の講師もしていた。部屋には滅多に居たことがなかったが、いらっしゃる時は、遅くまでタイプライターの音が響いていた。いちど部屋にお邪魔した時に、机の上にマルコムXの著書が置いてあったのが印象に残る。大きな背中に首がめり込み、独特の大阪弁は迫力があったが、けして強圧的な感じではなく、僕達を温かい眼で見てくれていた。
ある日、寮に突然女優の岸恵子さんがやって来た。どうやら小田さんのガールフレンドらしいと知りびっくり!「ここは、女人禁制ですよ!」と
声を掛けたら、「あら、こんなおばさんでも女性って認めてくれるの?」と笑顔で答えてくれたのが懐かしい。
直接教えを請う事も無く、寮を出て以来お会いする事も無かったが、病床にあっても、常に闘う意志を持ちつつ逝かれたその折れない心に、僕は頭が下がる想いでいっぱいだ。
合掌
2007年7月30日
小田実さんさようなら
青山表参道アーニーズ日記