今年は、トルコの観光産業にとって日本からのツーリストの当たり年(?!)となった。ワールドカップの影響でずいぶんと身近になったトルコという国へ、日本からの観光客が大挙して押し寄せているというのだ。そして、トルコにとっても日本は身近な存在になっている。トルコ人商人たちにとっても日本語は必須言語となりつつあるようだ。
3000もの店が軒を連ねるイスタンブールのグランド・バザール。このオスマントルコ時代のシルクロード交易の場は、今や一大観光名所だ。かつては貴金属から生活雑貨まで何でも揃うといわれたバザールは、今ではそのほとんどが観光客相手の土産物店となっている。一歩中に入ると、あっちからもこっちからも「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」とお声がかかる。売り子は男性ばかり。日本人とみると、こりゃお得意様!とばかりに呼び込みにも熱が入る。ひっきりなしに「コンニチワ」と声がかかる。「オッハー」とアクションつきで話しかけてくるヤツもいる。「コンニチワ」の次によく言われたのが「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」。「コンニチワ」と言われれば、「こんにちわ」と答えよう。でも、「ナマムギ・・・」にはいったい何と答えたらよいというのだ?「赤巻紙、黄巻紙、青巻紙」とか「東京特許許可局」とか言えばよいのか?
真面目な私は、その事についてよくよく考えてみた。そして、ある疑問につきあたった。どうして、みんな得意げに「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」というのだろうか。彼らの口から他の早口言葉は聞いたことがない。どこかの日本人が、グランバザール内を「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」といいふらしてまわったのか。それとも、ひとりのトルコ人が先に覚え、次々とバザール内の売り子たちの間を伝言ゲームの如く広まっていったのか。はたまた、数ある早口言葉の中でトルコ人の耳に残ったのは、「ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ」ひとつだけだったのか・・・?
謎は深まるばかりである。
人が行き交うところに露天商あり。これ、アジアの都市のお約束。イスタンブールも例外ではない。埃舞い立つ歩道には、生活雑貨等々さまざまな物が並べられている。そんな中、小さなテーブルの上に置かれた木箱の上、ちょこんと並ぶ2羽の白ウサギの姿が目にとまった。犬も好きだが、ウサギも好きだ。小学校の飼育小屋にいるようなこのフツーのウサギは、果たして売り物なのか・・・?こうなると、もう黙って通り過ぎることなんてできない。「あの〜、ウサギ売ってるんですか?」と聞いてみた。答えは、ノー。正解は、「ウサギ占い」だった。木箱の中に並べられた小さな白い紙片を、ウサギが選ぶのだそうだ。香港には、籠の中の小鳥がおみくじを引いてくる「小鳥占い」というのがあるが、それとまったく同じ。でも、ウサギなのだ。う〜ん、そりゃ見てみたいぞ。誰か占うヤツはいないのか・・・。トルコ人のおのぼりさんと思しきお姉ちゃんたちが、興味深そうに見ているが、財布を出す気配はない。しょうがない、私が占ってもらいましょう。
おじさんは、外国人の私のために英語のおみくじの入った木箱を取り出し、一羽のうさぎの前に差し出した。うさぎは、迷うでもなく、気のない風に一番近くの紙をキュッと口でくわえ、すぐポロっと落とす。ほんの一瞬の出来事。おいおい、占う相手の顔くらいちょっとは見ろよと思ったが、そこはまあ、ウサギである。おじさんが渡してくれた紙片には、こう書いてあった。
「You got tired for the last days but you still don't perceive your own state. This exhausting work can put your health in danger.」
これって、「凶」?!
その時、トルコについて4日め。残りあと26日。健康には気をつけて、仕事はほどほどにしておこうと思った。それにしても、この仕事のつらさ、ウサギにもわかるのね。
トルコの大地を旅しながら眺めるのどかな風景の中には、さまざまな動物の姿がある。放牧中の牛、羊、ヤギ。荷車を引く馬やロバ。大きくて怖そうな牧羊犬。畑の土をつつく鶏やあひる・・・。そして、七面鳥。畑の中や土の路地を数羽かたまっては歩いている。けっこうよく見るのだ。このデカイ鳥の姿を。
そういえば、英語でトルコのことをTURKEYという。七面鳥もTURKEYだ。いったいなぜ・・・?英語でJAPANには、「漆器」の意味がある。これは、わかりやすい。だからやっぱりこのふたつのTURKEYにも、何か関係があるはずだ。実は七面鳥はトルコが原産だとか、かつてアメリカに大量に輸出していたとかいった理由が・・・。
トルコ人に、恐る恐る聞いてみた。だって、自分の国があのいかにも間抜けそうな鳥と同じ名前だなんて、あんまりうれしくないかもなぁ・・・と思ったから。すると、やっぱりその通りだった。「なぜだか全然わかりません。」ときっぱり。「七面鳥は、アメリカ原産でしょ。」ふむふむ。そして、驚いたのは、次の言葉だった。「トルコでは、七面鳥のことは、HINDI(ヒンディ)と呼びます。インド人のことです。」
じゃあ、インドでは、七面鳥は何と呼ばれてるんだ?!
誰か、知ってたらぜひ教えてください。
中部アナトリアの町シワスから南へ68キロ下ったところにあるカンガルへ、カンガル犬に会いに行った。トルコの犬といえば、なんといってもカンガルである。これまでイスタンブールや東トルコでも、カンガル犬もどきにはたくさん会った。大きくベージュの皮毛で、垂れ耳、黒いマズルの犬だ。でも、どれも本物のカンガル犬ではなかった。純粋なカンガル犬には、そんじょそこらの犬とは違うすごい特徴があるというのだ。
カンガル犬は放牧が盛んなトルコにおいて、優秀な牧童犬として知られている。もともとは羊飼いの犬だが、牛飼いと共に荒野を歩くカンガル犬もよく見かける。牧羊犬といっても、イギリスのボーダーコリーのように羊飼いの笛の音ひとつで右に左に機敏に走りまわるわけではない。のっしりのっしりと家畜のまわりの歩いているだけである。カンガル犬は家畜を追うのではなく、狼などの外敵から守る番犬なのだ。そのために、特別な訓練はしていないという。しかし、のっそり歩いているようでも、常に家畜をとりまく周りの状況に目を配ってる。自分の守る家畜の群れに、知らない人間や動物が近づいてこようものなら、気立てがやさしいカンガル犬でも、このときばかりは獰猛な番犬と化す。不用意に近づきすぎると、流血の惨事となることも・・・。
カンガルの荒野で見つけたのは、50頭ほどの牛の群れと一緒に動く雄のカンガル犬、オクタイ号4歳だった。確かに大きい。体高7、80センチ。立ち上がったら、間違いなく私より大きいだろう。牛飼いが我々のアプローチに気づくより先に、オクタイは、丘の中腹で石のようにじっしながら、我々の動きをうかがっていた。オクタイとの距離を縮めすぎないように気をつけながら、まずは牛飼いのおじさんに声をかける。おじさんがやってきて、我々と握手を交わすのをジッと見つめるオクタイ。これで、どうやら外敵ではないと理解したようである。そこで、少しづつオクタイに近づこうとすると、彼は立ち上がってゆっくりと去ってゆく。やはり、見知らぬ人間とは、なるべくかかわりあいたくないようだ。牛飼いの息子がオクタイを引きとめ、我々はやっと本物のカンガル犬を間近で見ることができた。
大きい体のわりには、とてもかわいい顔をしてる。マスチフをちょっと細くしたような感じ。広大な自然の中で暮らす犬らしく、頑丈な体つきだ。それにしても、足の太く大きいこと。そして、この足に、カンガル犬の秘密があるのだ。牛飼いの息子が付き添って、オクタイの後ろ足をよく見せてもらった。おおっ!!噂は本当だった!!本物のカンガル犬の後ろ足には、今も狼爪が残っているのだ。普通の犬には、前足だけに狼爪が残っている。それも、多くの犬は、生まれてすぐにその前足の狼爪を切除してしまう。後ろ足にも残る大きな狼爪は、カンガル犬が、原種に近いことの証なのだろう。足の裏まで調べられ、困惑しながらもおとなしくがまんしてくれたオクタイ、ありがとう。もういいよ、と言ったとたんに、ゆっくりと我々から離れ、牛の群れの方へ歩いていった。
カンガルの町を後にする前に、カンガル犬のブリーダーのところへ寄ってみることにした。金網の中に、たくさんのカンガル犬。そして、きゃんきゃんと鳴く子犬たち。コロコロの身体で、好奇心旺盛。わ〜!どれもかわいいぞっ!このさいだから、一匹買っていこうか・・・。一匹100ドルだそうだ。トルコにしては、いい値段だ。日本へ持って帰ったら、いったいいくらになるだろう?かなりの高値がつくこと間違いなし!日本にも「柏崎トルコ文化村」とかいうところに、カンガル犬がいるらしいが、JKCへの登録数はゼロだそうだ。こいつを連れて歩いたら、グレートデンなんかよりずっとカッコいいんじゃないだろうか・・・などと、ちょっと本気で考えたりもしたが、トルコ人に、「カンガル犬を飼ったら、家畜も一緒に飼わなくてはいけません。」と言われ、思いとどまった。いくら大きくても犬ならいいけど、一緒に羊とか牛は飼えないからなあ・・・。
このブリーダーの金網の中で、さらに驚くべきカンガル犬の秘密を知ってしまった!!本物の本物のカンガル犬には、後足の狼爪が(片足に)2本あるのだ!!オクタイが偽者だったわけではないが、彼の狼爪は一本だった。ここにいた一匹の雌犬には、なんと後ろ足の指が6本あったのだ。見た目かなりグロテスク。でも、これこそが、純血カンガル犬だそうだ。
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(追記:その後、ちょっと調べたところ、セントバーナードやピレネーズにも、後ろ足の狼爪があるそうだ。それも、2本でる場合があるらしい。これは、山岳犬の特徴ということなんだろうか・・・?) |
フランス料理、中華料理と並んで「世界三大料理」に数えられるトルコ料理。トルコ人は、トルコ料理こそ料理と信じている。それ以外の料理など、まるで存在しないかのようである。イスタンブールのような大都市ならともかく、ちょっと大きい地方都市でも、それ以外の料理を口にすることはまず望めない。あの世界中どこにでもある中華料理店でさえ、一軒もないのである。ためしにサムソンのホテルで聞いてみた。「あのー、町に中華料理店はありますか?」「どうしてそんなことを聞くんだ?」とフロントの男性。ようするに「そんなもん、あるわけないじゃないか。そんなこと聞くこと自体がおかしいよ」というわけ。なにもそこまで否定しなくても・・・。酢豚はともかく、食べればけっこうおいしいよ中華料理。そう教えてあげたいところだが、食に関して彼らの冒険心は限りなくゼロに近いようだ。というわけで、我々は一ヶ月近くもの間、ひたすらトルコ料理を食べ続けた。そんなトルコ料理漬けの日々を送っていたにもかかわらず、なぜこれまでサイドストーリーにとりあげなかったのか。それには、深いわけがあるだ。
トルコ料理はおいしい。日本人の口になかなかあうと思う。豆のスープ、串焼きにした肉や野菜、グリルの肉を削ぎ切りにしたドネルケバブ、煮込んだ肉団子キョフテ、焼き茄子、ピラフ、ぶどうの葉のロールキャベツ…じゃなくてロールぶどうの葉etc。多くの店では、それがカフェテリアのようにディスプレイされているので、注文もしやすい。左の写真が、焼く前のもの。牛、鳥、羊(もちろん豚はない)野菜などがある。
食事は、まずスープから始まる。ウェイターがスープを持ってくる。ここからが問題だ。トルコ人スタッフと食事をすると、スープをのせた皿がテーブルに置かれた瞬間に、彼らのスプーンはもうスープの中にはいっている。トルコ人はせっかちである。他の人がテーブルについていなくても、そんなものは待たない。いただきますもいわない。出されたものはすぐ食べる!ガンガン食べる!ひたすら食べる!日本人の食事時間も短いと思っていたが、とてもトルコ人にはかなわない。ある時、打ち合わせで少し遅く食堂に入ったら(といっても、30分も遅くはなかったと思う)、彼らはもうデザートを食べていた。下手すると、こちらがアペタイザーを食べているうちに、彼らは食後の紅茶を飲んでいたりするわけだ。それから、トルコでの食事中、気が抜けないことがひとつある。それはウェイターの皿を片付けるのがともかく早いことだ。食事中に、少し手を休めおしゃべりなどしていようものなら、容赦なく皿を下げられてしまう。皿の上にどれくらい残っているかは関係ない。あ、それまだ食べてます・・・と言ってももう遅い。間髪いれずに紅茶が出てきてしまう。紅茶が出てきたら食事はもうおわり。あとは、勘定書が来るだけだ。
今日こそは料理の写真を撮ろうと思っていた。料理前の肉の写真は撮った。テーブルで料理の出来上がりを待っていた。しかし、はっと気がついた時には、その料理のほとんどはお腹の中に入っていた。ああ、またやってしまった・・・。とういわけで、トルコ料理の写真を載せるとこはできなかったのである。
長かった仕事も終わり、明日はいよいよ帰国の途につく。さあ、ゆっくりお土産でも買おうかと、再びグランド・バザールへ行った。結局買ったのは、トルコ帽ひとつだけ。ずいぶん間抜けな土産物だが、これが欲しかった。おじさん、この帽子いくら?「10,000,000トルコ・リラだよ。」トルコのお金には、やたらにゼロがついている。値段を言われるたびに気が狂いそうになる。一ヶ月もいるが、まだ慣れない。「USドルでいくら?」と私。「6ドルだよ。」とおじさん。ふーん、「もっと小さいサイズある?」雑談、雑談。「少し安くしてくれない?」「じゃ、5ドル。」雑談、雑談。「やっぱりもうちょっと考えてから、また来るわ。」「マテマテ、じゃあ君だけにスペシャル・プライスで4ドルにする。」「3ドルにして。」「だめ、4ドル。」「じゃ、いらない。」「わかった、3ドル。」そこで交渉成立。次の陶器屋でも、大きなお皿が23ドルから結局10ドルまで落ちた。(結局買わなかったが。)グランド・バザールでの買い物の相場は、だいたい言い値の半額にはなるということがわかった。
それにしても面白かったのは、ミニ・デジカメの人気である。今回写真を撮るのに使っているのは、6センチX4センチくらいのおもちゃみたいなカメラ。それを胸にかけて歩いていると、通路で客引きをしているトルコ男性たちの視線はもう釘付けである。それこそ1m歩くごとに「それはカメラか?」「ちょっと見せてくれ!」と声がかかる。「それで写真が撮れるのか?」と聞かれ「もちろん!」と答えると、「俺に売ってくれ!」といわれる。「いくら払う?」と聞くと「いくら欲しいんだ?」どうやら本気らしい。適当にあしらい次の通りへ。「それはいくらで買ったんだ?」おっ、またか。「200ドルくらいかな。」と私。本当は、8千円くらい。それもヨドバシカメラで貯まったポイントでタダだった。そんなことは知らないお兄さんは、「俺は250ドルキャッシュで払う。」ホッホー!「あなたが250ドル出すのなら、他の人は350ドル出すかもしれない。」「じゃあ、いくらなら売ってくれるんだ?」
あっちでもこっちでもこの調子である。次にトルコに来るときには、この小型カメラを大量に仕入れてグランド・バザールに乗り込もうかと本気で考えた次第である。
イスタンブールを離れる日、キリムの工房を見に行った。トルコ土産の代表といえば、なんといっても手織りの絨毯とキリム(織物)である。観光地ともなれば、あっちにもこっちにも絨毯屋が軒を連ね、ショーウィンドウを眺めて歩くだけでも楽しい。しかし、これだけあると、いいものを見分けるのは難しい。絨毯もキリムも奥が深いのだ。
訪れたのは、ブルーモスクにほど近いアパートの一室にある、キリム作家のおじさんの工房。イスタンブールで定年を前に長年勤めた職場を辞め、心機一転キリムの勉強を始めたという、トルコでは珍しい経歴の人だ。職人というより、アーティストといった方がぴったり。伝統的な柄にくわえて、モダンなデザインも取り入れるのが、彼の作品の特徴となっている。毛糸は、最近は少なくなった100%草木染め。地下の部屋で彼自身の手によって染め上げられている。右の写真の2枚のキリムが、彼の作品である。青い方は、宮廷で多く使われた伝統的柄を織り込んでいる。(名前は忘れてしまったが)このパターンは「パワー」を象徴するものらしい。そして赤い方は、チューリップ。オスマントルコ時代に好んで使われた柄のひとつだ。このチューリップ柄が、おじさんの作品には多く登場する。私も、チューリップの織り込まれた茶色のキリムを一枚買った。
おじさんの工房は、お店にはなっていない。置いてあった作品の多くはすでに業者に買い付けられて売却済み。購入できるものは少なかった。その中で私が選んだもう一枚(写真左)は、おじさんの作品ではなくコンヤの村で作られたというものだ。実は、この作品にはデザイン上にちょっとした間違いがあるため、普通の値段よりもお安くなっているという。これぞ、世界に一枚のキリム!さて、そのデザインの間違いとは・・・?本来は、四方を囲むはずの枠(外側のピンクと青の部分)を、右側だけすっかり忘れてしまったというのだ。なんという大胆な間違い!!
この“うっかりキリム”は、13才の女の子の作品だそうだ。彼女の好きならくだやヤギが、キリム一面に賑やかに並ぶ。そしてその中に、らくだの出来損ないなのか、それともたれ耳の羊なのか・・・一匹だけ、こんなヤツが混ざっている。
んん?これは、やっぱり黒犬かな?
ほんとうは、一枚だけ買うつもりだったのに、これを見ちゃったらもう買わずにはいらない。
はい、もう一枚お買い上げ!
いくらで買ったかって?
それは内緒!
日本で見る輸入キリムの値段に比べると、本当〜に安い。
みんなが絨毯やキリムのお店を開きたくなっちゃうわけ、よ〜くわかったぞ。