病気の子どもたちの作品展 |
1999年11月26日(金)〜28日(日)
場所:松本市中央公民館(Mウィング)
AM10:00〜PM5:00
出品作品の説明
朝倉すみれさん 「りす」中学1年の時の作品。 7才でMDSと診断。 97年7月に移植。少し回復されたころから無菌室で絵を描き出した。 小さい頃から昆虫や小動物が好きだったせいか、それらのものばかり描いていました。入院していた病院は東京郊外の自然に恵まれたところで、具合の良い時には、鳥を観察したり植物のつるを利用して作品を作ったりして自然と親しむことを楽しんでいました。 |
田中真純さん 「校庭」小学校5年生の時の作品。 11才で骨肉腫と診断。 診断前の元気いっぱいの時に屋上から校内の写生大会で描いた絵。 「鉄棒をしている人たちそれぞれを描くのに苦労したよ」とコメントしていた絵です。絵は苦手といいながらも、一生懸命取り組んでいました。 |
森田健太君 「かっぱの絵」 3才の時白血病と診断。 骨髄移植を受けるため、入院していた病院で「看護の日」に向けて、2年半前の7才の時に描きました。大好きなかっぱのぬいぐるみを抱きしめていると痛い注射も我慢できた健太くんは、こんな看護婦さんが理想だったのかもしれません。 |
西尾百珠ちゃん 「タマゴのある木」 1才で神経芽腫と診断。 「あのね、イエローはたまごでね、グリーンは木なんだよ。オレンジはたまごをだいじにするカーテンなんだ」 この絵は、個室で腫瘍によるがん性腹膜炎、胸膜炎と闘っていた頃から、個室を初めて出た時に、再び生きる希望をもって描いたもの。この絵は周りへの感謝と自らを育もうとする気持ちの現れであったと思われます。 |
金光洋介君 「F91とガンダム」 7才で脳腫瘍と診断。 1回目の発病後に描いた絵です。寝る前に必ず広告の裏に絵を描く習慣がありました。こんなに上手に描けるのなら後遺症の心配もないねと、夫婦で喜んだそうです。 |
この他に…
岩倉岳史君 「ちぎり絵」小学校5年生の時の作品
9才の時ユーイング肉腫と診断。13才の時白血病。現在、医師を目指して医大で勉強中の20才。
入院中の訪問学級の授業の中で作った作品。入院中に小説を書いたこともありました。
杉田優人君 「夢の中の木」
5才の時白血病と診断。現在9才。小学校4年生。
この絵は今年の夏休み前に、学校の図工の時間に「夢の絵を」ということで、最近見た夢を描いたもの。
「自分の口から木がはえてきて恐かった」と話してくれました。
神田義晃君「看護婦さんへの言葉」(「ありがとう」とういう文字です)
5才で白血病と診断。
2度目の骨髄移植の時(11才)、無菌室の中で書いたもの。
口内炎がひどく、話しをすることができない状態でした。看護婦さんに何か見せていたのが、この「ありがとう」です。
手が震えて、やっと書いたようですが、看護婦さんに伝えたかったのでしょう。
鴇田ゆみさん「くまのプーさん」
10才で白血病と診断。
この絵は、病気や治療による痛みのため、多量のモルヒネが使用されていた時期に、睡魔に襲われながらも、病室で休んでは描き休んでは描き仕上げた作品。
菅沢広樹君「オリジナルキャラクター」
5才でユーイング肉腫と診断。
小さい頃から絵を描くことが得意だった広樹君が2日間で描き続けた作品。一つ一つが自分で考えたオリジナルキャラクターであり、まるで広樹君の宝物を見せてもらっているようです。
木村英津子さん「生きてゆく日々は魂の旅路」
13才で脳腫瘍と診断。退院後書道を始める。
「墨林綜合書展」で褒状受賞他数々の展覧会で入選。近年は自作の詩文書アートの創作、CG作品を発表している。現在34才。
宝田祐子「奏楽天使」
以上東京からは、12点出品しました。
長野県立こども病院の子どもたちの作品
宮越由貴奈さん詩「命」 小学4年生の時の作品 院内学級での理科の実験のあと、作りました。今でもいろいろな方々にお読み頂き話題を提供してくれています。最近、ある学級では、この詩を扱い、みんなでキルトに仕上げて心に刻みました。温かい心の通い合うクラスへの確認ができたとのことです。 |
「命」
命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も月日がたってやっと神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも「命なんかいらない。」と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう