The Never Ending Train
1996.12.29発行 発行数 50部 |
B5版 34ページ 価格 300円 |
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コミケに申し込みをはじめて3回目にして当選し、初めて作ったスタジオPALMの記念すべき一冊目の同人誌。 この当時は大学で学内雑誌を発行するサークルに所属しており、当選時は代表の任期が終了した頃でした。 今だから話しますが、ぶっちゃけ同人をはじめたのは、「げんしけん」の如く所属していた大学サークルのコミケ参加を目標とし、手始めに自分でサークルを作り、大学サークルのメンバーをコミケに巻き込むことによって大学サークルをコミケに参加させようとした事がきっかけなのです。 ちなみに当時はその大学サークルの本も販売していました。(だから「げんしけん」はかなり私の事そのもので、痛い位懐かしくなります) うわっ、言ってしまったよ………いいのか? 結局、それは叶わないままでした。まんがが書ける訳でもなく、しかもはじめたのが鉄道系では、まぁ当然ですね。 しかし、ヲタクの道には同期や後輩を巻き込んでしまい現在に至ってしまってます。私がその大学サークルに加入した時に、ヲタクの匂いがしたのは私と、同期のH先生しかいませんでした。変えちゃったものだなぁ、と、彼と先般電話で話したものです。 また当時、鉄道系同人誌の表紙は殆ど鉄道写真だったのですが、当サークルはヘタな事を承知の上で、敢えて女の子のイラストを表紙に使いました。 これは生意気にも「鉄道同人だからといって鉄道だけで固まらずに広く一般(のヲタク)にも受け入れられる同人誌を作りたい」という思いからこうなったのです。 他にイラスト表紙の本をつくっていた鉄道サークルは片手で数えられる程しかなく、これでも珍しかった様です。ほぼ全ページ(表紙ロゴも!)が手書きで書かれていて、恐ろしく手が込んでいます。こんなに手間を掛けた同人誌はもう二度と出来ません(苦笑)。 内容は、こんのの中国地方の鉄道旅行記まんがと、主任運転士(当時のP.Nは多車種運転士)の蒲原鉄道車両紹介です。あまりにもアラが多く荒っぽい作りですが、情熱だけは一番ありましたね。 初のブースへは私とH先生とこっしー君の3人で参加しました。……今と変わりないんですね。完全に腐れ縁になっちゃってますね。 何もかも若かったよ、あの頃は……思い出すだけで涙が出ます。 |