◆□◆ 会社のおいたち◆□◆
| 明治34年 | 進藤 忠太郎、愛媛県の寒川村(さんがわ )に生まれた。 |
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| 忠太郎の父 寅吉は14歳の頃より
隣町で野菜の行商をしていた。 その際 山芋と野菜を一緒に菓子屋や一般の人に売っていた。 |
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| 忠太郎は幼い頃より寒川の特産品(生姜、かぶ、里芋、山の芋) を持って香川、 徳島に行商に通った。 戦前、戦中は特産品を中国、近畿、北陸地方に出荷 していた。 終戦後、息子の清任が作る「いもあめ」を売っていたこともある。 |
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| 昭和36年頃 | 清任が里芋の撰果機を作る。おそらく日本で1号機である。 それからというもの、毎日10トン以上の里芋を出荷する忙しい日 |
| 当時山の芋の商売は、冷蔵庫がなかったために半年間しかできな かった。 |
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| 昭和45年 | 山芋を貯蔵する冷蔵庫を建築する。次々に増やして、現在では300トン以上 の「山の芋」を貯蔵できるまでになった。 |
| 昭和58年 | 進藤忠太郎 逝去。 |
| 昭和59年 | 進藤清任が(有)進藤忠太郎商店を設立。
山の芋の注文が年々増えて、里芋に変わり山の芋が主力になり 現在に至る。 |