MUSICプロフィール「YKP」![]() |
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ソングファイルMP3
吉田拓郎 泉谷しげる 友川かずき RCサクセション スチャダラパー ジェームスブラウン マルコムマクラレン ジョニーロットン セックスピストルズ クラッシュ スターリン アナーキー かぐや姫 ボブマリー スカタライズ スペシャルズ シュガーヒルギャング アフリカンバンバータ 筒見京平 憂歌団 ジュニアウェルズ バディガイ 小室哲哉 ワイルドスタイルに出演のラッパー ベースパトロール「123456BASS」 ユーロビート ハウス シェリルリン 中山ラビ 高石ともや 伊秩弘将 高野寛 長渕剛 ジミースミス レッドツッエペリン HIPHOP |
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吉田拓郎 「1979年 篠島オールナイトコンサート」 「1986年 つま恋オールナイトコンサート」 RCサクセション 「1980年 早稲田講堂ライブ」 戸川純 「玉姫様ライブ」 ジェームスブラウン 「1993年 来日ライブ 」
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弾き語りは多少出来るけど (中学校の時は ギター購入を狙ってギターマンドリンクラブに1年在籍 親にギターを買ってもらった。) 最近はネオアコ系のようなオープンコードを使ったものに憧れてます。しかし、手が小さいので トホホ 中学校のときにチョーキングヒブラートがどうしても出来なくて ギタリストを挫折。 アルハンブラの思い出のトレモロ奏法も出来なくて泣いた。 また、ボーカルは中学校のとき 自分のキーの低さを認識して挫折 「俺は歌手にはなれん」 そう思った。 高いGの音がフラットに発声できずに 松山千春の「季節のなかで」を発狂したように歌うと 「近所迷惑だに、ええかげんにしときゃーよ」と ばあさんからたしなめられておった。 そのとき、もし家を建てかえるのなら 発狂できる防音部屋を作るぞ とその頃から計画しておった。・・・ 今なら ビーズやラルクの歌は全然歌えん スピッツ やミスチルの歌も ダメ グレイなんてとんでもない それほど キーが低く カラオケの18番は スチャダラの「今夜はブギーバック」 拓郎の「全部抱きしめて」 「襟裳岬」 「ペニーレインでバーボン」 (時がたって しまうことを 忘れてしまいたいときがあるよね・・・・ってやつ あんましカラオケにはいっとらん) 平 浩次の「バス ストップ」などなど |
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チョーキングビブラートが出来ずにギタリストになれないことを認識 ベースをはじめた。 手が小さいので 弾きたいのはR&B系のゴリゴリしたベースなんですが うー弾いてると手がつりそうになっちまう |
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あんまり弾けません ただ ブルース系スケールで弾く オルガンのアドリブに憧れてます 弾けないゆえにDTMは いつまで経っても 初心者です。 |
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1982年にワイルドスタイルちゅー映画を見てから憧れてました ターンテーブルとミキサー揃えて ちょっと練習しました。 一度だけ バンドのドラムの子友人系のパーティで回したことがあります。 結構 曲がドンドン手際よく変わっていくそんな感じが好き。 好きなんは 超オールドスクールなラップやジョージクリントン系のビョンビョンベース シェリルリンのガットビーリアル また、ユーロビートやハウスも当時だいぶ12インチシングルを買いました。 ユーロ系でこれは 何年経っても名曲だなと思うのは クークーの「アップサイドダウン」でしょうか。
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中学校のときは フォーク系 拓郎 かぐや姫 高校の頃は ペーパーミント ちゅー 文化祭用の軟弱系フォークバンド 社会人になって 高校の時の連れと佐野元春なんかをやってるバンドのベース しかも 超ヘタ 家人にその頃テープ 聞かせると ナンダコレと酷評されます。 東京に転勤して カシオペアなんかのコピーバンド その時のドラマーから徹底的なシゴキに合い 血豆をつぶし ながらのチョッパーベース修行 しかし モミジのような小さなの手のため辛い日々が続く。 名古屋に戻り DJリミックスに傾倒 また 少したって 曲の歌詞が突然書けるようになったので曲作りをはじめる1年で駄作ばかり30曲ぐらい作りました。 それから数年後 ある楽器屋の張り紙でブルース系のバンドのベースマンとして加入 ブルースのノリ R&Bのグルーブを教えられ またまたシゴかれました。ちなみにバンド内では当時一番年下 といっても26才ぐらいだったような・・・・・ 「ちみねー ノリが悪いんだよ バスドラとビチッとタイミング合わせてさ んでもって引きづる感じでうねるようなベースを弾いてもらわんといかんのよ」 「あ あっ ハイ 次までに練習してきまーす。」んな感じだったか・・・ レゲエやスカを覚えたのもこの頃、ボブマリーがあんなに偉大だったことをその頃知りました。 併行しながら 家人と自主制作CD「Y&I」を巨額28万円を投入して作成 150枚だけプレス 1993年 その後、家庭の事情によりバンド脱退、しかし、それから1年後 弾き語りライブを月1のペースで敢行したが一人では器不足を痛感そして挫折。 家人がジャズボーカルのスクールに通うことになり、自分も何か習いたいと懇願 30才をすぎて 某シンガーソングライタースクールに6か月通いました。その頃の先生から酷評された曲がダンス&スクリームっす。 (君なぁ この曲 Aメロが短かすぎひんか まったく・・・作りなおしや)なんて言われました。 1996年ネットでのHPを公開 「Y&I」の内容を一部公開するも リアルオーディオの知識があんまりなかったので あまり皆さんに聞いていただくことも出来ず、ほったらかしだった「リアルオーディオでポン」(こちらのHPの音楽コーナー) ストリーミングで聞けるようなアップの仕方を知ったのは まだ ごく最近。 ゆえに猿のようにエンコードばっかりしているちゅーわけ 2001年ボサノバに目覚め ブラジルやん アントニオカルロスジョビンじゃー ジョアンジルベルトに狂い ガットギターを友人からタダでもらい ボサボサしとるよぉ 歌詞づくりにも、精を出し 一年に30曲ほどの詩を書き上げ 一人 悦に入る・・・・おー コワすぎ 2002年 ネトラジを知ってしまったのが 運のつき ネットライブの恥じさらし 一人しゃべりに 音楽流し さすらいのネットDJとして 旅立っていくのだった。ベエビー |