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養蚕と絹・シルクの歴史

養蚕の歴史を遡ると、今から4500から5000年前、既に中国ではカイコが飼育され、
繭から生糸をとって絹織物をつくる技術を持っていた、と言われています。
その当時の絹織物は、中国内の貴族だけに求められる貴重な秘密の絹織物でしたが、
約2500年前、絹織物が中国から他国に伝わりました。
絹の美しさにひかれた他国の商人は、海、山、砂漠、草原を越え、危険な目に遭遇
しながらも、その絹を求めて中国へ交易に行きました。

1900年代にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、アジアを東西に走っている交易路を
「シルクロード・絹の道」と表現したそうです。
「絹の道」は「ローマから長安」まで、という説や、「ローマから奈良・正倉院まで」、
という説もありますが、シルクロードがどこからどこまで、という定説はありません。

シルクロードは、中央アジアの砂漠地帯を通る道「オアシス路」、アジア北部の草原を
通る道「草原路」、アジア大陸からインド洋を経てペルシャ湾にいたる「南海路」と、
複数のシルクロードがあります。
絹の交易路が複数ある意味は、いかに絹の価値が高く、それを求める交易商人が多かった、
と言えるのではないでしょうか。
私は、絹交易人が通った道のすべてが、シルクロードだ、と思います。

とにかく、交易路は養蚕技術を世界に広めたばかりではなく、絹を通して諸国の文化も広
めました。
約1800年前、日本に養蚕技術が伝わりました。

1859年、日本の生糸は、長野方面から八王子経由で横浜へ、開港した横浜港から世界へ
輸出を開始しました。
八王子から横浜間を絹商人が通った道沿いに「絹の道」の碑があるそうです。

1900年以降、日本は世界最大の蚕糸国で、欧米諸国へ大量の生糸を輸出してきました。

現在、養蚕は減りましたが、シルクの国内需要は多く、世界のシルク生産量の約25%を
消費しています。
養蚕農家は、30の都府県にわたって、3000軒。
一位、群馬県に次いで、埼玉県、福島県となっています。


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