迷走録 2002年10月

 

平成14年10月27日

この1週間は、特に変わったことしていません。はっきりいって最近中だるみ状態です。そろそろ気分を一新して地道に実力をつけなければいけないのに、なかなか実行できません。

前々から基本の3000語くらいを発音も含めて徹底的に覚え直そうと思っているのですが、実際にやった人の話を聞いたことがないので、躊躇しています。「基本から覚え直せ」とか「基本から覚え直そうと思う」というのは、何度も聞いたことがありますが、実際にそれを集中的にやって効果があったという話しは聞いたことがありません。たぶんいろいろやっているうちに、自然に一通りマスターしてしまうのが理想なのだろうけど、英語に触れる絶対量が少ないので、何らかの形で足りないところをチェックして補う必要があるのではと思います。

 

平成14年10月20日

久し振りにエンヤを聞いたら、歌詞が少し聞き取れるようになっていてびっくりしました。ラジオでたまたま聞いただけなので1曲しか聴いていませんが、イギリスに行く前より格段によく聞き取れました。昔よく聞いていたときは、ほとんど英語に聞こえなかったのですが、・・・。でも、歌詞が聞き取れるとなんだか、歌詞が気になって癒しの効果が少なくなってしまうように感じられてしまいました。

それから先々週の金曜日(11日)にRPを話す(元)先生に会いに行ってきました。元と書いたのは、数年前に英国系の某学校の閉校を決意され、焼鳥屋のマスターに転身されてしまったからです。でも、自分の気持ちのなかではいまでも先生なのです。

今回は、某大学院生のYさんに「RPの焼き鳥屋さん、びっくりしました。いろんな方がいらっしゃるんですんですね。めっちゃ興味あります。是非つれて行ってください。」とメールでせがまれてしまったので、はるばるT市のD吉に行って来ました。ちょっと家から離れたところにあるので、一大決心をしないと、ちょいとビールを一杯てなわけにはいかないので、先生に会ういい機会にはなりました。

Yさんが先生の好みだったのか、話しが弾み結構盛り上がりました。先生は、今は全くといっていいほど英語を話さない生活をされていますが、もったいないという気がします。話しているうちにYさんの英語の前置詞の間違いに気が付いて指摘してくれたのですが、以前のように絶妙のタイミングで相手にあった完璧な説明でした。やっぱり、先生の説明はいいよなあとつくづく思いました。Yさんが英語で教えてくれてありがとうのようなことをいうと、先生が(確か)「Not at all. It's my job.」と反射的に答えていました。習性とは恐ろしいものだ。

日本語と英語を交え(元)先生(現大将)・(元)受付のKさん(現店員)・Yさん・わたしの4人で話したのですが、先生が途中で他のお客さんに英語で話しかけるという失敗をしたときの、お客さんのびっくりした表情が可笑しかった。笑いませんでしたが、話しかけられた男性2人は一瞬完全に固まってました。若くて(そこそこ?)魅力的な女性ををつれていたので、他のお客さんに「女性の前で英語を使ってイヤなやつ」と思われないように気をつかったので、その意味では結構疲れましたし、前々から先生に質問しようと思っていたことを聞くのをすっかり忘れていました。他にもおもしろいことがいくつかあったのですが、ちょっと個人的な情報を含むので、その個人的な情報をカットしてしまうとおもしろみが無くなってしまうので、続編としてアップされる可能性は少ないと思います。とにかく楽しい会話ができました。

 

平成14年10月14日

昨日と今日は、京都でテレセラピー(宝石光線療法)研究セミナーを受けてきました。インドからバッタチャリヤ博士が来日し講義がありました。インド英語を聞き取ろうと思って真剣に聞いたのは初めてですが、苦戦しました。しかし、英語でセミナーやレッスンを受けるのは、ただ英語を勉強するとは違って、内容に興味があって真剣に聞き取ろうという姿勢ができている上に、流れに着いていく必要があって、半強制的に自分の実力を体力と集中力の続く限り全開で英語に付いていこうとするので、ある意味、最高の英語のレッスンになると思います。

ほかにも、いろいろ気が向くと変わったこと挑戦してみるのですが、これといった決め手がありません。あまりにもイギリスでの経験が強烈だったため、英語に関しては、何をやっても色あせて見えてしまいます。ときどきですが、英語が日本語を聞いているように自然に聞こえたことがありました。ロンドン大学での最後のソーシャル・プログラムのパブ・ウォーク(パブ散策プログラム)のときは、ガイドの説明が日本語と同じくらい明瞭に理解できました。あの感動をなんとか日本で再現できないかと考えています。

 

平成14年10月6日

井形慶子著「イギリス流つぎはぎ英語で大丈夫!」(幻冬社)を買いました。最初に目次を見て「第6章長続きしない・話せない人が生まれる背景」から読んで、最初ちょっとがっかりしました。インターネットで英語学習サイトをいくつか回ったひとなら、特に目新しいことはないし、どちらかといえば陳腐に響くようなものが多かったからです。

まあ、すべての読者がインターネットで英語学習サイト巡りをしているわけではないしと気を取り直して最初から読みなおしてみました。井形さんの本は、他にも何冊か読んでいますが、これも読みものとしてはおもしろいといえます。確かにおもしろい。感動するシーンや目頭が熱くなりそうなエピソードもそつなく組み込まれ、井形ワールドの鋳型にすっぽり嵌められ、読後は怒濤のように押し寄せた感動の嵐の余韻に浸れるかもしれません。しかし、しかしだ。読者諸氏はゆめゆめ「つぎはぎ英語で大丈夫!」などという甘言をを鵜呑みにすることなかれ!!これは、つぎはぎ英語でもコミュニケートするためのメンタル・セットを教えてくれる本と解した方が賢明でしょう。

「はじめに」に『聞いたところによると、英語が趣味になっている人たちは、英語についての雑学本や教材を次々に買い込む傾向があるという。』と書いてあります。しかし、一生に一度家を購入するかどうかもわからない人が、日曜日ごとに住宅展示場巡りをしたり建築関係の本を読みあさったりするのも、おそらく生涯で一度も命のやりとりをしないで終わるだろう人が格闘技を習ったり、格闘ノウハウ本を読みあさるのも、趣味だからいいじゃないですか?煩悩にまみれて濁世を呻吟しながらも重荷を背負って歩き続けなくてはいけない凡夫が、少ないお金で趣味の本を買いあさって夢想に耽ったってどこが可笑しいんですか?経済学者が必ずしも大金持ちではないし、すべての占い師が自己実現を達成しているようにも見えません。英語学習者が英語が話せなくて、どこが不思議なの?って感じです。

所詮は人生なんて生臭坊主にいわせりゃ此岸から彼岸に至るまでの暇つぶしだそうな。自分の悲願が叶わないからといって、世の中を僻んではいけません。なんか、あんまり英語に関係ないこと書いてますね。なにが謂いたかったかっていうと、人生寄り道にも結構楽しいことがあるかもしれないし、目標に向かって藻掻いているなかにこそ本当は面白さが隠れているのかも知れません。結論がはっきり分っていたら、面白さも半減してしまうかもしれません。本を読みながら、そんなことを考えてしまいました。

 

平成14年10月3日

今日は、大学院の合格通知を受け取りました。うれしかったです。激励のメールをくださった方々、陰ながら応援してくだっさたみなさん、本当にありがとうございました。

演習の担当教授も自分の第一希望の教授でした。これで、自分の研究したいことができそうです。4月までに、さらに自分でできることは、できるだけやっておこうと思っています。ちょっと、ほっとしました。久々に、心の底からうれしいと思えることがあってよかったです。


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