迷走録 2005年3月

 

平成17年3月19日


突然ことわざを思い出しました。『瓜田に履を納れず李下に冠を正さず』です。

直接関係ないですが、英語の語彙を増やそうとテキストで覚えているときに、そのことわざを思い出しました。

最近は、一段と貧乏になってきたので、あまり本を買いませんが、ちょっと昔は買いまくっていました。なんとなくしっくりしない本は、さらっと読んで終わりなのですが、語彙を増やす本でTOEIC向けの良いものが、手持ちになっかたので、なんとなく気に入らない雰囲気もあったのですが、昔買った本で覚え始めました。

その本は、フレーズで覚える。次に覚えた単語の含まれたリスニングの問題を解くという構成で、まあ、いいシステムだと思います。でも、例えば、「・・・ one's child」とあったら「one's」が主語と同じか違うかが分かりません。他の本では、「one's」とあったら主語と同じ「somebody's」とあったら主語と違うという区別があったのですが、その本は、ちょっと杜撰かなと思いました。

嫌な予感を持ちつつ進めていると、*「be optimistic about one's prospects for recovery」というのがありました。訳は、「病気回復の見込みについて楽観する」とありました。「誰がした誰の病気回復見込みについて誰が楽観する」んだ?「one's」じゃ、はじめてこの例文にであたったもんにゃわからんだろうが!!!と怒って、辞書にあたると、5冊の英和(研究発表のため昨年20冊買いました。まあこのくらいでいいだろうということで5冊で調べるのはやめた。)・2冊の英英のうち3つの英和には prospect で病気回復の例文があったが、prospects では、病気回復の例文はないし、prospects の説明にも、chances of being successful (OALD); the possibility of being successful, especially at work (CALD) とある。少なくともノン・ネイティブは、prospects でなく prospect とした方がいいだろうな。(ちなみに、著者はTOEIC990点のネイティブとTOEIC990点の日本人)

参考のために、英和の例文を挙げておく。"Is there any prospect of her recovery?" 「彼女が回復する可能性はありますか」『ニュープロシード英和辞典』・"There is every [little] prospect of his recovery." 「彼が回復する見込みは大いにある[ほとんどない]」『ルミナス英和辞典』・"There's every prospect of his recovering."  「彼が回復する可能性は十分にある」『旺文社レクシス英和辞典』

一部の人たちのなかには英和辞典は信用できないという人もいるので、念のためネットで調べると、「The United Kingdom Parliament」の「Oral evidence」に例を見つけた。ここにありゃ文句ないだろ。以下に挙げておく。

"This cannot be right. We are artificially prolonging his life when there is no prospect of his recovery". http://www.publications.parliament.uk/pa/jt200203/jtselect/jtdmi/uc1083-ii/uc108302.htm

これで、ノン・ネイティブは"There is every [little / no ] prospect of somebody's recovery."とやっておけば安心だ。無理矢理*「be optimistic about one's prospects for recovery」にコメントを求められても、"I am not sure, but that might be unusual, I think."くらいでお茶を濁す方が良いと思う。含みは、「一部のネイティブは言うかも知れんが、ちょっと変じゃないですか?」くらいかな。

さて、くだんのことわざは、誤解されるようなことはするなという意味だが、ここで言いたかったのは、『教養のあるTOEIC990点のネイティブとTOEIC990点の日本人によって書かれた本に載っている表現でも、辞書の用例と大きく違うものは、使わない方が安全』という訳さ。へたに使うと、辞書の表現しか見てないやつに、間違ってると思われるからね。

*「be optimistic about one's prospects for recovery」が正しいかどうかについては、判断留保。一介の学習者に判断できることではございませぬ。でも、趣味悪いと思うよ。この駄文を、日本語のノン・ネイティブに『瓜田に履を納れず李下に冠を正さず』を教えるときに使うくらい変だと思うよ。ネイティブが使うってのと、それが学習者にふさわしいかは別。

自分のセンスに合わないものは、話半分くらいで、常に疑ってかからなければ。恩師と仰ぐ某先生は、半分冗談で『信用は堕落の始まり』とのたまった。またある人は、『あるかないか分からないものをある(あるいは逆にない)と思い込むことを信じるというのさ』と仰った。『目の前にある机をさして、私は机があると信じますとは言わない。机があると言う』そうだ。確かに。

結局、信じるも信じないも自己責任ということでしょうな。このエッセイを信じるも信じないも、それは読者のみなさんの責任ですから。もし間違いを見つけても、怒り狂わず、できればそっとお知らせ願えると有り難いですな。To err is human, to forgive divine.

 

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