PC−9801BXの巻


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98と言えば、泣く子も黙る(黙るのか?)PC−9800シリーズである。
PC-8800シリーズの後がまを受け、他のメーカーのパソコンをものともせず国民機にまで登り詰めたあれである。
そんなパソコンであるからして、すべてのソフト(ゲーム含む)が集まってくるのである。
当然わたしもそれを使いたくない訳がない。
と言うことでここからは98について続く予定である。

1. 98へのあこがれ

当時パソコン界は、98の独壇場と言っても過言ではなかった。ソフトはどれもこれも98から開発されていく。いちばんユーザーが多いのだからそうなるのは当たり前である。 しかし、

本体の価格が高かった。

学生なんぞ、バイトで半年以上頑張ってやっと買えるかなという程である。
98に色々とゲームが出ているのを見てわたしはあこがれていたものである。
(実際は88の頃からだが)
ところが、意外な強敵が現れる。

「IBM PC」またの名を「PC/AT互換機」である。

英語仕様のこのパソコンは、基本的には日本語で処理はできない。しかし、それはOSによって解決できるのである。ただ、日本語化は処理に大きな重荷となるため、今までは現実的ではなかったのだ。
そしてCPUの高速化によりその重荷も何とか背負える状態となった頃、それは海を渡ってきたのである。
DOS/Vという日本語で処理できるDOSを引き連れて・・・
(「DOS/V」というのは本来はOSの名前であって、パソコンの名前ではない。Windowsの時代になってもDOS/Vとはこれいかに・・・ と言うことで知らなかった人はこの機会にAT互換機と呼ぶようにしましょう(笑))
AT互換機はIBMが規格を公開して普及させたマシンであることは有名だが、規格公開は良い競争を生んだ。パソコンの価格は一気に下がり始めたのである。
そして、その波が日本でも起こり始めたのだ。
ところが、当時AT互換機のことなど全く知らなかったわたしは、最初から眼中にはなかった。コンパックのCMを見たことがあったのだが、

「なんだこのパソコン?動くソフトはあるのか?」

と言う程度だったのだから(笑)
このAT互換機の登場で98も価格を下げざる負えない状況となった。そして、価格低下の最初のシリーズのひとつのBXを購入できたのである。

AT互換機様様とも言える(笑)


2. 486SX(20)

CPUは当時では豪華なi486であった。それでこの低価格だったので、なかなかうれしかったりする。
ゲームばかりやっていた当時は、この速度で十分であった。
元々買う目的が98用のゲームとなっていたため文句はない

・・・はずだった。


3. 86ボード

BXはコストダウンをはかったため音源は全く付いていなかった。
ゲームをやるためには音源無しというのは非常に問題であった。なにしろBGMが聞けないのだから。日本ファルコムのあのFM音源によるBGMが聞けないのでは98を買った意味が50%減である(多少大げさ)
しかし、NECはしっかりと対策を用意してくれていた。それが新音源ボード86ボードである。26ボードとの違いは、FM音源3音追加とPCM音源の追加である。
当然Windows3.1発売に向けての商品だったのだろう。
(しかし当時のわたしはWindows3.1など眼中になかった。というか知らなかった(爆)
26ボード互換でもあるので、古いソフトでもちゃんと音が鳴ってくれる。

ところがこのボードは出荷が非常に遅れた・・・

BXが出回ったのは1月に対して86ボードは良く3月頃まで出荷されなかったのだ。
BXを買った店には予約しておいたのだが、全く音沙汰がないので問い合わせたところ発覚した事実である。
というわけでNECにまで問い合わせたのだが、

「もうすぐ出荷できます。」

という返事に2度くらい騙された・・・
我慢しきれなかった私は中古の26ボードでお茶を濁していたのである(爆)
86ボードになってようやく、88時代の音源に追いついたのだが、やはり3音と6音ではまったく出来が違う。
また、どうやら26と86の間にもう1つ出ていたらしいのだが、高かったのと対応ソフトが少なかったのが災いして廃れたらしい。


4. 初めてのハードディスク

元シブガキ隊の本木がTVでWindowsと叫んでいた頃、わたしは店頭でとあるものを見つけた。

BX用内蔵IDEハードディスク(120MB)

である。
当時ハードディスクといえば高級品で、このIDEでさえ実売5万円を突破していたのである。
(信じられないかもしれないけど本当。昔はもっと高かったと思う。先日買ったIBMの7200rpmのIDEは10GB(およそ100倍)で約48000円(笑))
でも、Windows3.1を使うためには必要だったりする。
ただし、わたしの目的はゲームなのでそんなことは関係ない。
バイト代をほとんどをつぎ込んで購入したわたしは期待を胸に家路に。
早速、BXのカバーを開けて取り付ける。説明書もあったので初めてでも簡単に取り付けができた。閉めにくいカバーを閉じたあと早速セットアップ。
これも、マニュアル通りですぐに完了。製品に付いていたメニューソフトが起動する。
ということで早速ゲームをインストールすることにした。
日本ファルコムの「ぽっぷるメイル」である。
このソフトはちゃんとハードディスクにセットアップするツールが付いているので簡単に終了した。
早速起動すると・・・

「速い!」

フロッピーに比べて、アクセス速度は超極上になるためあっという間にアクセスが終わる。そしてもうひとつは

「ディスクの入れ替えが要らない!」

このころのゲームからはディスクを多く使うようになったのでディスク交換が要らないというのは非常に良かった。
特に「プリンセスメーカー2」はフロッピーでやると頻繁にディスクの交換があるようで、これをしなくて済んだのは非常に大きいところである。
キーディスクのシステムを使うソフトがほとんどであったのは残念なところである。ま、しょうがないけど。


ところが、HDDでのゲーム利用にはとんでもない落とし穴が待っていた。
あるゲームをインストールして起動すると次のメッセージが

「メモリーが足りません」

コンベンショナルメモリーが足りなかったのだが、当時のわたしははDOSの詳しいことをほとんど知らなかったので、このメッセージがなんで出るのか全く判らなかったのである。
結局このゲームはフロッピーで遊んだのである(爆)

今度は、メニューソフトにソフトを登録していくのだがここでも困ったことが発生した。

漢字が入力できないのである。

これでは、せっかくのメニューも半角カタカナで寂しい限りである。
これも、FEPという概念を理解していなかったので起こった現象なのである。単純に漢字変換機能のドライバをインストールしていなかっただけということなのだ。
しかし、DOSに疎かった当時はCONFIG.SYSなど判るわけもなかった・・・
ところがメニューソフト自体に組み込む機能があったため、マニュアル片手に何とかインストールを完了して漢字が使えるようになったのである。


5. Windows3.1の導入

対応ソフトがほとんど無かった(特にゲーム)ので、しばらくは購入を控えていたのだが専門学校での友人が購入したためわたしも欲しくなってしまったのである。
ところがHDDの条件は一応クリアしているものの、メモリーが足らなかったのである。
BXのメモリーは2MBだったため(98のメモリーカウントの表示は640KB+1024KBとなる)最低のメモリー容量に達していなかった。
わたしはメモリー増設を決意する。
しかし、予算がなかったのでどう調達するかが問題となった。
当時、親から教習費用を借りていたので教習費用と偽って借り出したのである(爆)
もう返済は済んでいるので時効ということで・・・(笑)
当時はメモリも高価で2MBで1万円と言える価格であった。
そんな中で4M増設して、Windows3.1をセットアップする。
しかし、ここでまた次の問題が!

やはり対応ソフトがない(爆)

Windows3.1はDOSソフトの動作は不安定で使いものにならない状態であった。
結局、動かすソフトもなくHDDを圧迫するだけなので大して役にも立たないうちにアンインストールとなったのである・・・


6. Windows3.1復活

パソコン通信を初めてから、様々な情報が入るようになった。その中に良くあるのが購入報告などである。聞いてしまうと非常に欲しくなってしまうのは人間心理としては当然と言えるだろう(笑)
そしてこのころからゲーム以外へのパーツやパソコンの購入がスタートするのである。
パソコン通信にはたくさんのソフトが登録されている。その中にはWindows3.1用のソフトもいくつか見られた。
当然使うためにはWindows3.1をインストールしないといけない。
さらに追い打ちをかけるように、パソコン通信のメンバーがWindows3.1をプリインストールしたノートパソコンを購入していくのである。

このままでは、時代に乗り遅れる!

と、いま考えればそれこそ時代遅れのような考えを抱いたわたしは、HDDの増設を決断する。
当時は残業時間が長かったため、そこそこ懐は暖かかった。
わたしの所有していたPC-9801BXは、IDEは1台しか積めないので必然的にSCSIと決定した。(当時なら120MBを捨てる気にもならないし・・・)
車で秋葉原に出向く。そこで結局購入したものはSCSI2ボード付の500Mのものであった。
当時はSCSIの場合マルチベンダーに関してあんまり安定していなかったので、店員に大丈夫かを聞く。
しかし、もうおわかりと思うがわたしはある大間違いをしていた。

1台目のSCSI機器なのにそんなものがある訳がない

ということである(爆)(まぁ、100%無いとは言えませんが・・・)
それでも店員はちゃんと答えてくれたのでわたしは安心して持ち帰る。帰りの運転は急ぐ気持ちと慎重さが混じり込んだのは言うまでもない。
セットアップもあっさり終了しWindows3.1の世界へと浸るのである。
しかし、通信自体はDOSのままであったが・・・


7. 3.5インチフロッピーディスク

実はわたしのBXは5インチモデルだったのである。単純に5インチの方が、メディア単価が低かったからである。
ところが、パソコン通信でその話になると

「今時5インチは珍しいですよ」

と言われてしまう。
確かに時代は完全に3.5インチへ移動し始めていた。雑誌に添付されるフロッピーも3.5インチがメインになりつつあった。
パソコン通信のメンバーも3.5インチユーザーばかりなのでデーターのやり取りが厳しくなってくる。
と言うことで、外付け3.5インチフロッピーディスクを購入したのである。
ところがこいつの導入には色々と苦労した。
まず、BXなどの新しい98には増設フロッピーディスクを繋げるインターフェイスがないので、別売りのCバス用ボードを買う必要があった。
買うこと自体は仕方のないことなのだが、こいつを繋げるのが大変であった。
単純にCバスに挿せば終わりではないのである。そのボードからフラットケーブルを内蔵フロッピーディスクのすぐ後ろにある、コネクタに繋げる必要があったのである。

これがめちゃくちゃ繋げにくい!

狭いし、堅いしとんでもないことである。
汗水垂らしながら1時間以上かかってようやく成功。こういうのはもっと何とかして欲しいものである・・・
続けて第2の難関、1.44MBを読み書きするためのセットアップがうまく行かないのである。説明書通りにやっても失敗してしまう。
仕方がないので1.2MBだけで良いやとすんなり諦めてしまった。
その後DOSに強くなったわたしは、CONFIG.SYSに記述すればいいことが判ったので自分で設定して1.44MB化に成功させる。
しかし、Windows3.1上で1.44MBのフロッピーを扱うと鬼のように遅くなった・・・
これではDOSでしか使えません。


8. PC−9821への乗換の決意

BXはそれなりに使えるパソコンではあったのだが、いくつかの不満点があった。
  1. PC-9821用のゲームができない。
  2. Windows3.1で640*400の解像度しか使えない。
    (まぁ、Cバス用のグラフィックボードを買えば良いんだけど)
  3. Windows3.1がやっぱり重い。
特に1は重要であった。と言っても結局大して数は出なかったようですけどね。
と言うことで、BXは約2年のお勤めを終えて後継者に引き継ぐことになったのである。

▽PC−9821Ap2の巻
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