がんばれいそげたつなりくん
−京都駅− 5

イリスの体内に取り込まれた綾奈は、イリスの精神と融合していく中で、自らの昏い憎悪によって引き起こされた恐るべき惨劇の記憶に直面する。

自らの犯した取り返しのつかない罪におののき、綾奈の精神が救いを求めたその時、大きな光の手のビジョンが、綾奈を包み込んだ。再び立ち上がったガメラが、綾奈を救い出すために、その左手をイリスの体内深く突き立てたのだ。

綾奈を体内から掴み出そうとするガメラに、イリスはその鋭い槍でガメラの右手を壁に釘付けにして動きを封じる。両手を封じられたガメラに、イリスの触手から発せられる疑似プラズマ火球が迫る。

ついに自らの右手をプラズマ火球で爆砕して、戒めを解くガメラ。だがその刹那、イリスの疑似プラズマ火球がガメラに向けて発射される! ガメラの切断された右腕に命中したかに見えた疑似プラズマ火球。だが、その炎の球は、ガメラの右腕の先で徐々にその姿を変え、ついに、砕かれたはずのガメラの右手の形へと変貌する!!

ガメラは左手に掴んだ綾奈をついにイリスの体内から引き抜き、入れ代わりにその炎の右手を、イリスの体内深く一気にねじり込む!! 内部からの超高熱攻撃に、ついに大爆発を起こして四散するイリス。

ガメラが右手を釘付けにされた壁。室町小路広場の真上にあるっす。

映画では中まで詰まった堅い柱状のものとして描写されていたっすけど、実際には、空中通路へ上るエレベーターの入ったビル状構造物っす。

ラスト近く、綾奈と龍成の蘇生を見届けたガメラが、迫りくるギャオスの大群を察知して、南の空を見遣る。映画の大スクリーンで観た人なら、ガメラが覗いている開口部の下の方に炎上する京都の街と、米粒のような大きさの長峰たちが写っているのを覚えているはずっす。

この構図は、室町小路広場の北側の開口部から、南側を眺めたものっす。左上の半壊した壁面は、ガメラが釘付けにされていた柱状構造物の側面。

同じアングルから見た実景。6枚の写真を合成したものっす。

しかしこうやって見ると、室町小路広場の開口部って本当にガメラ様専用窓っすね(^_^;

室町小路広場の上の屋根は、映画では落ちてしまっているので写っていないっす。落ちた残骸が、広場ではなくなぜか大階段の上にあるのは御愛嬌(^_^;

映画の画面と実景とを較べてみて一番大きな差異は、前景の小道具っす。画面の左右をよく見て下さい。映画では、画面の右側に方向案内標識、画面の左側に案内版がナメて写っています(「ナメる」とは、主に遠近感の表現のために、画面の手前に近景物を写り込ませること)。ところが、実景ではそのどちらも見当たらないっす。

これらをどこから持って来たかというと・・・

これは一つ上の写真のちょうど反対側、南側開口部から見た室町小路広場。2枚の写真を合成したものっす。

こちら側には、方向案内標識も案内版もあることがわかります。しかも、場所を180度ずらすと、映画での場所とほぼ同じっす。実景のままでは前景が寂しいので、標識や案内版をこちら側から向こうに「持っていった」のでしょう。

本来実景にないものを、遠近感の演出のために加える時、どうせウソだからと全くデタラメに加えるのではなく、実際の風景から巧みに「引用」して「そこにあってもおかしくない」説得力を与えようとする。映画的虚構は虚構として、そこに居直るのではなく、あくまでその世界の中で嘘をつき通そうとする姿勢が、ここに限らずGIIIの特撮には貫徹していると思うっす。

だからGIIIには、普通の近ごろの特撮のように「実際のその場所を知っている人が観たら、失笑もしくは大笑い」などというようなとこはどこにもないっす。むしろ、実景を見ることで、むしろその場所を的確に再現しつつ、巧みに虚構を織り交ぜて実景以上の効果を生み出す、作り手の力に感嘆させられることばかりでした。

 

今回、GIIIの舞台となった京都を歩き回ってみて、傑作特撮映画の舞台をリアルタイムで実際に歩いてみるという、同時代人にしかできない贅沢な体験を味わったっす。

しかも実際に歩いてみて、映画との違いにがっかりするというより、むしろ映画表現の奥深さというのを知って、映画の面白さをさらに深めることになったっす。ロケ地を歩く中で、映画の登場人物の視点はもちろん「作り手の視点」の一端さえも伺うことが出来たのは、願ってもない収穫でした。

 

このページをご覧になっているあなたも、是非一度、ここに紹介したロケ地を探訪して、映画の追体験を楽しんでみることをお勧めしたいと思います。

−この項終り−
最後までありがとうございましたm(_ _)m

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