祐子のあしあと




1981年11月11日
聖路加国際病院にて誕生。2450gの小柄でしたが
人一倍泣き声の大きい(おじいちゃんにそっくりな)
元気な赤ちゃんでした。

1982年1月11日
生まれて初めて飛行機に乗り、パパの勤務先でありこれから生活する広島に向かう。



1982年5月11日
転勤で広島から東京に移る。

1982年7月25日
満8ヶ月にて玄関で「いってらっちゃい」と言う。

1982年9月29日
満10ヶ月で歩き始める。

1984年5月9日
妹、知子誕生。お姉ちゃんとして苦労の始まり。


1985年4月
「ばとうばし幼稚園」「ばら組」入園。小古間先生にお世話になる。

1986年11月7日
パパが転勤でバンコクに行く。
日本で留守番をしている間にタイ語を覚えテープに録音してタイに送る。
パパ、びっくり!





1987年1月16日
ママと知子と3人で渡タイ。すぐに、現地の「たけのこ幼稚園」に転入する。

1987年4月
バンコク日本人学校の幼稚園部に入園。

1988年4月
バンコク日本人学校に入学。


1991年4月
4年生に進級し、器楽サークルに入部。
クラリネットを担当し運動会や文化祭などで活躍する。


1992年正月
家族4人でのオーストラリア旅行。メルボルン、エアーズロック、シドニーと回る。



1992年5月8日
約5年半のタイの生活を終え、帰国。
江戸川区立西葛西小学校に転入。(5年生)

1993年8月
穂高、黒部方面へ家族旅行。

1993年11月
右大腿部に痛みを感じるが、近所の整骨院での診察は「筋膜炎?」

1994年1月

日大駿河台病院にて「悪性骨肉腫」の疑い。
すぐに日大板橋病院に入院の手配。

1994年1月
松葉杖にて三輪田学園中学校を受験、合格。
残念ながら入院中のため、小学校の卒業式も中学校の入学式も出席できず、
ベットの上での不自由な生活と抗がん剤の苦しい治療に専念。

1994年8月
右大腿骨置換手術。8時間に及ぶ大手術も成功、リハビリに励む。

1994年11月
手術後、初の外泊。車イスでの帰宅であったが、
一日一日と回復に向かい希望の日々

1995年3月
病院から、初めての三輪田学園中学校への登校。
初めての制服、皆より約一年遅れての「入学」だったけれど、松葉杖で一日だけの出席。

1995年4月
待望の退院。一年三ヶ月にわたる入院生活に別れを告げ、
新学期からは中学校生活に復帰できるとの「夢」も、
最後の検査で再発が判明。5月より再入院-----。

1995年8月
抗がん剤による化学療法も限界が見え、
自宅での療養、通院、通学の生活に切替える。

1995年9月
三輪田学園中学校二年生での学校生活。
通院をしながらの学校生活ではあったが、夢にまでみた中学生。
友達もすぐにできて、「中間テスト」もまずまずの出来。

1995年12月3日
前日迄元気に通っていたが、この日急に体調を崩す。
翌々日から聖路加国際病院に検査のため3日間入院。12月7日帰宅。

1995年12月15日
自宅にて永眠。天国への旅たち。

1997年3月
三輪田学園中学校卒業式。本人は天国から出席。両親も出席。


祐子のプロフィール

スケッチブック

パパから祐子へ

Sさん(看護婦)から祐子へ

20歳の祐子へ

伯父さんから祐子へ