お互いがお互いを尊敬する。そんな社会がくればいいね。
3だな。
3だよ!3!
と、言いつつも、この手の遊びはハナシ半分で。
そもそも自分で自分を診断なんてできないので、評価は他人に任せるほかなし。
しかし、他人に自分のすべてを見せている訳でもなく、自分もまた他人の一部しか知らず、
「判断」というものは結局のところ自分の中にあるもので表現せざるを得ず、
自分の限界を超えた存在、未知なるものを評価するのは不可能じゃねぇか。
と、個の限界について述べてみんとす。
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いやぁ。
自分を他人がどう見るか・・・というのと、
自分が自分をどう思うのか・・・といのとは、
永遠に乖離しつづけているのと違いますか???
自分で自分をどう思うかという自己診断と、
他の方が自分についてどう思ってくださっておられるかという「評価」とは、まったく乖離して当然、とか
ワタシなんかは思ってしますますがぁ(^^;)
投稿者 ヘッケル冨田 : 2009年7月7日 00:24
2!!
(評価見て)
実にボクらしい…
なかなか評価自体されにくい性格のボクでした。
投稿者 じゅんぼく : 2009年7月7日 18:39
|∀゚)ノ 7ーー
…非対称デザインの方が好みなハズなのに今回はなぜか7を…
投稿者 Yasunoん : 2009年7月7日 20:19
>永遠に乖離しつづけているのと違いますか???
個人的観察ポイントは乖離具合よりも「観る力」とか「表現力」からその個人の中身に迫る事なので、
乖離オッケーです。どんどん乖離して「えー、そんな事言われちゃうのかよー」万々歳です。
そしてこのテストの結果に対して、それぞれがどう反応するかも重要な観察ポイントであり、
どんどん一喜一憂、もんもん思索していただきたい!
投稿者 あ〜る戦闘集団 : 2009年7月7日 23:22